札幌高等裁判所 昭和36年(う)146号 判決 1962年2月23日
控訴人 工藤英夫
検察官 検事 寺沢真人
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人土井勝三郎提出の控訴趣意書記載のとおりであるから、これをここに引用する。
所論は要するに、本件事故は被告人の過失に帰せられるべきではないというものであつて、これに対する当裁判所の判断は左のとおりである。
一 本件事故発生の経過及びその原因
原判決挙示の証拠によれば、本件事故の経緯として、被告人が原判決記載の本件現場において同判示の如き方法で採石作業を行なうこととなつたこと、右採石現場は硬質安山岩で組成された山の露出岩壁で、山の高さは約四〇米、傾斜はほぼ七〇度の急勾配を有していたこと、被告人は、同所の石が使用目的にそい得るものであるかどうかを調べるため、約四〇立方米の採石を目途として試験的に昭和三四年六月一八日、二二日及び二五日の三回にわたり右露出岩壁の右下部、中央下部及び左下部にそれぞれ新桐ダイナマイト(径三二粍、重量一一二、五瓦)を一孔あたり三本ずつつめて爆破し、右各個所が破砕したこと(穿孔数合計四四、各孔径二八粍、深さ一米ないし一米二〇糎、ただし、うち三つの孔は深さ二米、使用ダイナマイト総数一三二本)、ついで同月二六日作業員新山昭三郎外一〇数名に命じて右岩壁直下において破砕された岩石の集石及び積出し作業をさせていたところ、同日午後一時五〇分頃上部の岩石約二八〇立方米が節理(亀裂)面にそつてすべり落ちあるいは飛散し、その際約三〇数個に分散して崩落した岩塊が岩壁直下で作業中であつた作業員を下敷にし又は作業員に激突し、原判示の如き死傷者を生ぜしめるに至つたこと、なお、同日事故発生前二回にわたり被告人は前記発破後の浮石除去のため作業員に命じ払い発破(前記ダイナマイトを少量使用)を行なわしめたこと、がうかがわれる。そして右岩石崩落の原因は、天然に発達した節理ないし亀裂のある岩壁(これが内在的原因である。)の下部に、被告人が払い発破を含む前記発破をかけさせた(これが外的原因である。)ため、その震動によつて周囲の岩石の支持を失なわせたことにあり、とくに崩落岩石を支えていた周囲の岩盤表面から一・五ないし二米位の深部には広範囲の節理ないし亀裂があり、かつその密着部分が小面積にとどまつていたため、七〇度の急勾配もあつて大量の岩石塊が節理面にそつて落下するに至つたものと考えられる。以上の認定に反する証拠はない。
二 被告人の注意義務の存否――とくに結果発生の予見が可能であつたかについて
本件事故発生についての被告人の注意義務としては、起訴状記載の訴因は、「発破の位置選定については工事の安全面より十分の検討をなし、岩石崩落を招来する危険性のない位置を選定すべきこと」及び「発破作業後岩石直下に作業員を入れないようにすべきこと」の二つの義務があつたとしており、原判決もほぼこれに照応する義務を認め、なお「発破をかける場合は、既存の亀裂への影響、新しき亀裂の発生の有無に深甚の注意を払つて作業の安全性を確保すべき義務のあること」を附加し、被告人はこれらの注意義務を怠り、本件事故を惹起せしめたとしている。
そこで、前記のような本件事故の態様に即し、被告人に右の如き注意義務が存するかどうかを審按するについては、まずかかる結果に至ることが一般的に通常予見可能であつたかを検討しなければならない。
ところで、過失犯の成立に必要な結果発生の予見は、現にたどつた因果関係を事細かに予見し得ることは必要ではないが、少なくともその因果の系列の重要な部分については予見が可能であることを必要とするものと解すべきである。そこで、本件にあつては崩落事故の原因には二要素が考えられ、内在的原因として岩石自体に前記の如き節理ないし亀裂があり、支持面が小面積であつたことと、外的原因として発破の施行によつて崩落岩石に震動を与え、周囲岩石の支持を失わしめたことにあること前叙のとおりであるので、原審及び当審において適法に取り調べた証拠に基づいてこの二点にわたる予見が可能であるか否かを見ることとし((イ)ないし(ニ))、なお若干の附言を加える((ホ))。(以下に「板倉鑑定書」とは原審鑑定人板倉忠三作成の鑑定書を、「原審における板倉証言」とは同人の原審公判廷における証言を指し、又「被告人の検察官調書」とは被告人の検察官に対する供述調書二通を指し、その他これに準ずるものとする。)
(イ) 第一に、発破施行前において、岩盤に前記の如き節理ないし亀裂が存在することを予知することが可能であつたかについては、つぎのとおり認められる。すなわち、被告人の意図した採石作業は礼文華港防波堤建設工事のため防波堤体たるコンクリートケーソンの基礎となる地盤均し用捨石とこの捨石の側方傾斜面上にのせる捨石を採取することであつたが、そのためには直接外海の荒い波浪の作用にたえるため、とくに強く相当の大塊の石でなければならなかつた。然るに、本件現場附近の地質は硬質安山岩をもつて組成されており、その地形上からも右種類の岩石採取に適する地帯と認められるものの、ただ本件現場周辺の岩盤は節理が縦横に発達している点が認められた。しかし、そのなかで本件現場の岩盤はその発達が比較的少なく、この地帯で採石作業を行なうとすれば最も適当と判断できるところであつた。被告人は、これらの点を認識の上、まず所期の岩石が採取できるかどうかを見きわめるため、本格的採石作業に先だち試験発破を行なうこととし、原判示の如き三回の発破を旅行したものである。この場合、被告人が認識していた現場岩盤の表面節理はほぼ三個所(岩盤と対面して右後方、上後方、左後方に各向うもの一つずつ)のみであつたと認められるが、もしその他にも存在したとすれば、これらは十分認識可能であつたと推認される(被告人の検察官調書、供述書及び原審公判廷の供述、板倉鑑定書1、5、7項、川村金次郎の検察官調書)。しかし、これら表面にあらわれている節理の状態から通常の方法で岩石崩落の現状が示すような地表面に平行な広大な節理ないし亀裂面が深部に存在すること及び崩落岩石を支えていた部分の面積の大小を予知することは不可能であつたと断ぜざるを得ない(板倉鑑定書、原審及び当審における板倉証言)。もつとも、この予知は、現在の科学水準をもつて絶対に不能なのではなく、たとえばダム工事の基礎調査に用いられるような弾性波式地下探査法の如き方法もないではないが、その設備・費用は大規模のもので容易に試み得るものではない。一方、小岩石の場合に用いられるハンマーで叩いて知る方法は本件のような岩盤には利用できない(板倉鑑定書、原審及び当審における板倉証言)。周囲の状況から常識的に推理して本件節理の存在も予想し得るかの如くでもあるが、しかしそれも根拠のうすい、したがつて確からしさの低いものにすぎず、とくに本件現場はこの地帯において最も節理の少ない個所が選ばれている以上、右のような予想が可能であつたというのはおそらく困難である。結局、被告人と同一業務に従事する者一般が本件節理等の存在や状況を予知する方法はほとんどなく、客観的にこの予知は不可能であつたと見て差支えないものと思料される。
(ロ) 右のように本件節理の存在等は通常容易に予知できないものであるとしても、発破をかけた後岩石崩落の危険が生じているかどうかを予測することも不可能であつたかの点については別にあらためて検討しなければならない。しかし、本件三回の発破は前説示の如く試験発破であつて、その使用爆薬も四〇立方米余の岩石を破砕するに必要な限度にとどまつており、四四の穿孔中三本は深さ二米であつたが、他は大体一米内外であり、全体として山の勾配を変えたと見ることは困難で、又下部をえぐりとつたといつても、右容積では直ちに上部岩石が大量崩落する危険があることを察知させるようなものであつたとは認められない(この点につき、原判決は「発破によつて山の形状をこれ以上不安定な勾配にした場合、岩石崩落の危険があることは十分予見し得るところ」というが、この認定は上叙のところからして正当とは思われず、したがつてこの点は弁護人所論のとおりである。)。さらに、破砕された部分も崩落岩石の直下ではなく、崩落岩石の根を完全に払つたというものでもない(以上につき、板倉鑑定書7項及びこれに引用の各証拠)。したがつて、このような発破をかけたこと自体からは通常岩石崩落の危険は考えられないものと見られるところ、崩落個所の岩盤に大きな節理ないし亀裂があつたことを考慮に入れ、この関係で発破がどのような影響を与え、右岩盤がどのような状況を呈するに至つたかをさらに検討してみると、工藤、川村、田森、本間等工事に従事した首脳者は、すべてその影響すなわち亀裂の変化、進展を認めておらず、被告人は三回の発破施行後、新らしい亀裂が生じていないか、古い亀裂が拡大されたり、ズレたりしていないか等を観察し、又さく岩機の振動が中断されるに至つていないか等を調査したが、いずれも否定されたというのである(被告人の供述書と原審における供述、板倉鑑定書8項とこれに引用の各証拠)。被告人の学歴、知識、経験等に徴すれば右の観察調査の結果はおおむね信用できるものと考えられる。その上、被告人が採石作業を行なわしめたのは最後の試験発破を行なつた六月二五日の翌日であり、その間一二時間余の余裕をおいており、崩落までには二〇時間以上を経過している。崩落事故は被告人と同一の事務に携わる者にとつて必ず予見し得たものとは到底思われない。
(ハ) 以上の結論は板倉鑑定書並びに原審及び当審における板倉証言の各内容を多く採用している。これに対し、原審土居鑑定書は、「露出している岩盤に発達している節理の方向性、傾斜の度合を注意し、詳細に調査したならば、岩盤の下部に発破作業をおこなつた場合、上盤の自重による岩盤崩落の危険性のあることが、予め考えられる。」としており、右結論に反する如くである。しかし、同鑑定書も、第一に、「しかし、何時岩盤の崩落がおきるかという時期については、予見することは、おそらくできまい」とし、崩落が本件事故発生の日時頃又はこれに近接する日時頃におきるかどうかは事前には不明のこととしなければならなかつたとしているのみならず、第二に、崩落の危険性の予知のためには詳細な調査が必要であると述べ、かつその予知が可能であるとするについては「岩質、地質構造、節理の発達状態を解析出来る専門的知識が必要である」(鑑定書。原審における土居証言中記録一三七丁表の部分も同旨)としているのであつて、採石作業に従事する通常人にとつて一般的に予見可能であるとしているものではないことに注意すべきである。したがつて、かりに土居鑑定書の内容を採用すべきものとしても、過失犯の成否を考えるにあたつて結果発生の予見が可能であるかを案ずるについては、まず通常人を標準とすべく、専門家を標準とすべきものでないことはいうをまたないところであるから、結局本件崩落事故は予見不可能であつたと解するほかはないのである。
もつとも、右土居鑑定書の趣旨を原審土居証言の一部(検察官の問「下を取り除けば上は落ちるというのは一般的常識ではないか」答「そうです。節理の状態より見ると下部を取除くことは発破作業によつて破砕され、力の均衡が失われ上のものは下に落ちるという簡単な力学の法則によると予想出来ると判断します」問「それでは専門的知識がなくても考えられるのでないか」答「一応この現場では海岸の節理の状態と上部岩盤状態等より下部を取除くことは危険性は一応予想されることです」)と照らし合わせてみて、本件において、事故現場周辺には顕著な節理の発達がある以上、工事現場にも同様な節理が存在したであろうこと、したがつてこのような亀裂の見られる岩石の下部に発破をかけ下部を取り除けば上部が落ちるのは初歩的な力学原理の適用により容易に予測でき、したがつて崩落事故の蓋然性は通常予測し得たというふうに理解することが考えられる。そして、これがまさに原審検察官の主張であつたのである。しかし、土居鑑定書は本件についての捜査が完了する相当前に作成されたもので、事故発生に関する諸事情の把握において板倉鑑定書の詳細さに比すべくもなく、その判断の正確性は板倉鑑定書に数歩をゆずるものといわざるを得ないし、土居鑑定書の如く、しかし簡単に結論づけることの不当なことは、さきにも((イ)及び(ロ))若干述べたところであり、なお又かかる採石はしばしば各所において行なわれるところであるにもかかわらず、本件の如く予定数量の七倍もの石の落下をみて事故の惹起することは、甚だ稀有のことに属すること(当審における板倉証言)を思えば一層明らかとなろう。
(ニ) 結局、本件崩落事故は、被告人が採石を試みた岩盤が外部からは発見し難い節理ないし亀裂と不安定な支えを有していたものであつたことにそもそもの因があり、そしてその岩石下部に発破を加えたがその影響による崩落は一般に洞察できなかつたという関係の下に発生したものというべきである。(原審における板倉証言によれば、本件の如き崩落の危険性は専門的知識と経験ある者においてすら科学的には予測できず、単に勘に依存して知り得るものであるとし、さらに又、「本件現場で表面の亀裂を発見できて、その下の方に発破をかけるということは証人であつてもやつたと思いますか」との問に対し、「難しい質問ですが、私ならやつたと思います」と答えているほどである。)果してそうだとすれば、かかる事故は客観的に予見不可能な事象として、偶然の出来事、一種の不運というほかなく、本件訴因又はこれを認容した原料決の掲げた前掲注意義務の如きは、被告人に課せられるべき性質のものではないといわなければならない。
(ホ) なお、以上にとつてきた前提とは異り、本件作業が岩石崩落をもたらす危険のあつたことは概括的にせよ予見でき、かつ被告人の過失責任を問うにはそれで十分であるとの見解も考えられるので、この場合果して被告人に注意義務の懈怠があつたかどうかを仮定的に考察しておく。まず、土居鑑定書及び原審における土居証言は、採石作業にあたつては発破位置を岩壁の上部に選定し、その上部から採石を進めることが必要であつたといつており、原判決もこの見方を採用しているかの如くである。しかし、本格的採石の場合ならばともかく、本件はいわゆる試験発破をかけようとしたのであつて、その採石量と照らし合わせてみるとき、発破をかける作業自体の安全度や採石作業の能率を損ずるおそれのある上部からの採石がぜひとも要求されるものであつたとは必ずしも断定できず(原審並びに当審における板倉証言及び被告人の供述)、とくに右のような具体的でない漠然たる危険感が認められるからというだけで、そこまで要求するのは、本件の作業を中止ないし放棄すべき義務を負わせることとともに、社会的相当性を欠くものといわなければならない。つぎに、原判決は、発破作業の過程において岩盤の亀裂の変化等について観察調査すべき義務を判示しているが、これは前示(ロ)のとおり、被告人はこの点に留意したあとが見られ、その他採石作業を監督する者として普通に守るべき保安管理上の措置については、前述のとおり、又板倉鑑定書10項も認めているとおり、被告人はほぼ遺漏なく果しているのである。そして、なおこの関係では、原判決のいう岩石直下に作業員を入れないようにする義務は論ぜられない。けだし、そのためには崩落場所と崩落時期の具体的予見の可能性を必要とするからである。
したがつて、いずれにしても本件において被告人に注意義務違反の事実を認めることはできない。たしかに本件事故の結果は重大であり、かかる結果の発生は極力防止されなければならないものであつた。しかし、そのためには、地質、土木等に関する科学の発達と採石作業関係者の社会的措置に期待するほかはない面が余りにも多く、本件事故について被告人に刑事上の責任を問うのは甚だしく酷というべきである。
三 結論
要するに、原判決が本件について被告人に業務上過失致死傷の責任があるとしたのは、証拠の採否を誤り、ひいて事実を誤認したかどがあると認めざるを得ない。論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄すべきものとし、同法第四〇〇条但書に則り、次のとおり自判する。
本件公訴事実は、
被告人は、土木建設請負業建設株式会社に雇われ、虻田郡豊浦町字礼文華に所在する同会社室蘭営業所礼文華作業所に勤務し同会社施工の礼文港改良工事及びこれに附随する礼文華川川尻附近における採石工事の現場責任者として工事計画立案及び作業員に対する指揮監督の業務に従事していた者であるところ、昭和三四年六月中旬より右川尻より西南方約五百米の地点で採石工事をなすに当つては、海岸線より西方約三〇米離れた位置に存する安山岩より組成された山の露出岩壁から発破によつて石を破砕し、これを集石する方法を採ることになつたのであるが、採石現場附近には節理が発達している上、山の高さ約四〇米傾斜約七〇度の急勾配を有していたのであるから、発破によつて山の形状をこれ以上不安定な勾配にした場合、岩石崩落の危険があることは十分予見し得るところであり従つて現場責任者たるものは、発破の位置の選定について工事の安全面より十分検討をなし、岩石崩落を招来する危険性のない位置を選定すべきであるのみならず、発破作業の結果山の形状が不安定な勾配になつた場合には万一岩石が崩落した場合を慮つて危険な岩壁直下に作業員を人れないようになし以つて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに拘らずこれを怠り、同月一八日、二二日、二五日の三回に亘つて採石場所を選定するための試験発破をなした折漫然前記露出岩壁の下部に発破をかけても崩落の危険性はないものと軽信し、右露出岩壁の右下部中央下部左下部にそれぞれ新桐ダイナマイト(径三二粍、重量一一二・五瓦)三〇本乃至五四本を詰めて爆破してそのケ所を破砕し、又その一部をえぐり取つたのみならず、同月二六日作業員新山昭三郎外十数名に命じて右岩壁直下で破砕飛散した岩石の集石及び積出し作業をさせていたため、同二六日午后一時頃右の如く岩壁の下部を破砕しその一部をえぐり取つたことに起因して岩盤の力の平衡関係を失わせたことからその上部の岩石約三〇〇トン位が節理面にそつてすべり落ちその際約三〇数ケに分散して下落した岩塊が岩壁直下で作業していた作業員を下敷にし、或は又作業員に激突し因つて別表記載のとおり新山昭三郎を腹部切断内臓露出により即時同所で死亡させた外二名を死亡させ、五名に重傷を負わせたものである。
というのであるが、前叙の理由により被告人に注意義務違背の点は認められず、本件は犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第四〇四条、第三三六条により無罪の言渡をすべきものとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 矢部孝 裁判官 中村義正 裁判官 萩原太郎)
別表一、二<省略>